もう、コロナのことは書くまいと思っていたのですが、ここに来て状況が変わってきましたので、まずはそのことについて。
化学物質による労働災害や環境毒物リスク低減管理を目的とする調査屋であった素人に過ぎない私の、全く個人的な見解ですが、コロナ感染は「これから」いよいよ危機的な状況を迎えるのではないかと思っています。
これまで、社会的(経済的)失策はともかく、もともと、コロナ感染症そのものによる被害は、日本では幸運に支えられて低く抑えられてきました。例えば次のような幸運があったのでは??と私は思っています。
- もともと、遺伝的なのか社会的(BCG?)なのか不明だが、日本国民はコロナ感染に対して強かった(致死率が低かった)。
- 2月までに毒性の弱い武漢型ウィルスがある程度蔓延し、一部の人々は免疫を獲得したところに、3月に入ってから毒性の強い欧米型ウィルスが入ってきた。
- 連休までの、いわゆる第一波までは保健所やコロナを受け入れた医療の現場が、物資も経済支援もない中でも使命感を支えに奮闘した。
- 保健所や医療の現場が疲弊した中に夏の感染拡大を迎えたが、夏は風邪を引く人が少ないことと同じ原理で(自然免疫力が強かった)、全般に症状が軽かった。
しかし、ここに来て、経済活動拡大は社会的に総死者数(経済的困窮等をきっかけに将来に絶望し、自殺する人々を含む)を減らすためには必須であるものの、秋の冷え込みが顕著になり「風邪を引きやすい季節」が始まりました。
これまで感染拡大や症状悪化を防いできた要因とみられる自然免疫力が、寒さと乾燥に伴って、これまた自然に低下していく状況が、普通に考えて顕著になっていくだろうと。人間ってそういう生き物ですから。
そうなってくると、今、感染拡大を減速させる要素って、何も見当たらないのです。社会が慎重である限り感染は急拡大まではしないかもしれませんが、感染する人の総数はジリジリと増えていくんじゃないかなと思うのです。
心配しながら、状況を見守ってきましたが、冒頭写真の感染者数のグラフ。丸印を加筆しましたように、やはり上昇が始まってしまったかと思われるわけです。そして繰り返しになりますが、これを今後、低減化させる要素は何もありません。
で、問題は「感染者の絶対数」が今後すごく増えるだろうと心配される中で、保健所と医療の現場がどうか??……というと、これは、夏の感染拡大期に医療現場の当事者の皆さんがすでに仰っていたと思うのですが、もう、春のような献身的な奮闘は期待できないのです。
何しろ、コロナによる院内感染防止と医療行為の両立は、人員も資材も病室も「相当余分に」使うために、ものすごく大変で、ものすごい善い人材によって適切にポイントを得た対策をしつつ、ものすごいコストをかけざるを得ないものだそうです。
要するに、コロナを受け入れるほど、病院のオペレーションとしてはハードルが上がり、赤字になっていく。そして院内感染を出そうものなら社会的に凄く叩かれる。
個々の医療従事者をみても、休みも取れない超ハードな勤務、赤字の病院経営の結果として身を粉にした報いとしての報酬も正当にもらえず、そして世間からは家族までが感染差別に晒される……という状況で、春に献身的に闘ってくれた少なくない人々が、こんなのやっていられないと、すでに現場から去っていると、ごく普通に想像できるわけです。
下流の「受け止め」である医療現場がこんな調子で、上流の「振り分け」を行う保健所がスムーズに業務を回せるとか、誰が期待できるでしょうか?
もともと予算も人員も削られていたところに、とんでもない守備範囲を担うことになった保健所現場が、いくらノウハウも蓄積されたとかいっても、総量的に、ますます困難になるミッションを今後もこなせる……というのは、たぶん無理じゃないかと思います。
このようなことから、私は、秋冬のコロナ感染については、充分な医療がちゃんと受けられるか?とう視点からは、相当?悲観的に見立てておりまして……
罹って、自分自身の免疫力が負けてしまうことになったら、その時点でもうアウト
という心づもりで、とにかくコロナに罹らないようにするしかないんじゃないかと考えています。といっても、普通の風邪すら、普通に罹ってしまう季節、自分自身のみならずコロナか普通の風邪か見分けのつかない人続出の社会集団としてもリスクに満ち満ちているわけですが……
油断すると新型コロナウイルスに感染します。
— Takayuki Miyazawa(宮沢 孝幸) (@takavet1) 2020年10月3日
いつでもどこでも何度でもです。
当たり前ですが、検査受けたら感染しないと言うわけではないです。
感染したら検査でわかると言うことです。
感染したくなければ1/100作戦で逃げてください。
いつでもどこでも何度でもは、多分こっちの意味が正しい。
「コロナに罹らないために、絶対に外せないポイント」だけは、結構、はっきり見えてきているのでは?とも思っておりまして。以下の二つのポイントです。
- 発声由来の飛沫が浮遊して存在することが、今、自分の居る空気中に想定される場合には、とにかく飛沫の吸い込み量を減らす行動を選択する。
- 他人の生飛沫(ないし唾液)が新鮮な状態で付着した物体に、自分の手指で触れる可能性がある環境下では、手指衛生を徹底する。
さらに具体的に噛み砕いて言えば、一つめのポイントについては、次のような手順を踏みます。
- 自分が居る空間における飛沫発生量と空気の入れ替わり状況をよく観察する。
- その観察結果を踏まえて、どの程度の時間居るべきか、即立ち去るか検討。
- 居ることを決めた場合、観察結果に応じて、相手との距離、着座位置、人の密度の中での立ち位置を決め、適切な時間内に立ち去る。
こんなこと、別に文字化しなくても、誰もが考えつく普通のことだと思うのですが……現場におけるKY(危険予知)って、文字化が基本ですので。
二つめのポイントについては、一言で手指衛生といっても、とりわけ自分の目鼻を、つい触れてしまう手指の部位について、あらかじめ把握し、現場では特にそこに着目して徹底的に清浄化するようにします。
とにかく、実際の現場では、全部が理想的に実行できるなんてあり得ません。そんなことを目指すだけ、余計に破綻するリスクは増えます。要は「合格点」さえ取れれば良いのです。だから、ひたすらポイントを絞ることが、何より重要だと思います。
ちなみにコロナに罹らない「合格点」とは、体内に入るウィルスの個数を減らす(ゼロにする、ではない)ことだと考えられます。
aiken-makiss.hatenablog.com そのようなことで、こんな当ブログにお付き合い下さっている心優しい「あなたさま」におかれましては、普通の風邪は仕方ありませんが(寝てれば治るし、それしかない)、重症化リスクのあるコロナに罹って、たらい回しにされて右往左往……なんて憂き目は、くれぐれも避けて頂けますよう。
……で、以上は、実は前置きです。今日、お伝えしておきたいことは「別のこと」と申しますか、ある種の普遍的真理と、コロナとは全く無関係な一つの個別的具体論でして。
ただ、前置きで申し上げたことは、明らかな「投資の失敗例」と言えるわけです。
だって、考えてみて下さい。税金を元手とする社会的資源は、極めて限られています。有効に使わなければ、国家が借金ばかり重ねて構わない、なんて、私には到底言えません。
それなのに、コロナ対策のための投資として未だに話題に上がるのが「無症状者にも積極的に検査すべき」というバカげた話。
もう、ずーーーーっと、「無症状者への検査は、やらない方がいい」と言われていて、今は、これだけ理由についても明らかになっているのに、未だに、そういう主張や試みが絶えない。申し訳ないけどアホとしか思えない。
ポイントはひたすら「医療資源が有限である」ということに尽きるのです。不安の払拭も何も、感染をゼロにするとか「ゼロリスク」を目指してしまったら、全ては逆に崩壊するのです。だって現実的にあり得ない「絵空事」を実行しようとしたら、それが目的化して社会活動が成り立たなくなるのは自明です。
だから投資は、やるとするならば「医療資源の増大」につながることに限るべきだったのです。検査拡大は、それが本当に感染拡大防止に役立つなら、間接的に「医療資源の増大」につながるかもしれない。でもそんな効果は少しもない。
本当に残念なのは「医療資源の増大」に直接的につながる投資が、殆んど何も取られなかったことです。取られたかもしれませんが、極めて不充分でした。
投資の失敗とは、効果が見込み難い対象に対して、お金やエネルギーを注ぎ込むことです。春以降のコロナ対策は、まさに投資の失敗。
もちろん、本当は「今からでもやらないよりはマシ」です。「医療資源の増大」に直接的につながる投資、具体的には、コロナを受け入れるほどに病院が儲かる仕組みを作って実際に資金を拠出していけば、間違いなく状況は良くなっていきます。
……というか、世の中の誰が、実際にコロナ治療の現場で献身的に頑張って下さった医療関係者の懐に、直接給付にせよ、間接給付にせよ、充分なお金が入ることに、わざわざ反対するんでしょうか……
投資を行うなら、効果が確実に見込めるものを対象にすること。これはまず一つ、大きな成功は難しくとも、少なくとも失敗や破局を避けるためには真理であると考えます。だから「今からでもやらないよりはマシ」なのですが……(でも、やらないだろうな、と)
投資すべき対象を選ぶ際の本当のポイントは、確実性のみならず、「費用対効果が高い」ということにあります。
できるだけ少ないインプット(費用の投入)で、最大のアウトプット(利益、メリット)が出せるようにすること。そのために重要なことは、一にも二にも「タイミング」、これに尽きます。
例えば株式投資なんて、まさに、タイミングが結果を左右する最たるもので、同じ投資額でもタイミングによって利益が桁違いになるのは常識です。このように同じ「対象」でも、投資の具体的なタイミングによって実質的な意味はまるで違ってきます。
投資は、例えばゲームや試合、ひいては人生における時間の使い方、努力でも同じです。「ここで全体の流れが大きく変わる」、その時、そのタイミングにエネルギーや努力を集中させることが何よりも重要です。
「勝負勘」などと言われるものかもしれませんが、実際は、その大切な時点で、どこまで見識を持っていたか?によると思います。私が良い実例で、その見識を必要な時にほとんど備えていなかったがために、人生、一生懸命努力してきたつもりですが、今、しがない薪ストーブ屋さんです(笑)
そういう視点から、コロナ対策を見れば、医療関係者の懐に充分なお金が入るようにするための投資は、春の第一波の混乱が収束した直後のタイミングで、間髪入れずに行うべきだったのです。それをやらなかったために、夏の段階ですでに敗北モードでした。
それでも敗北を免れたのは、最初に述べたように、単に運が良かったためだけに過ぎません。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
bizgate.nikkei.co.jp 今こそ、この言葉を噛み締め、このたびのコロナ対策の失敗も含めて「他山の石」として、自らの投資について改めてお考えになって頂けたらと、私は思うのです。
で、実現は絶対に無理、敗戦モード確実ということを承知の上で、環境と生物に関する社会的問題として……
手遅れ感満載のコロナ「なんか」よりも、こっちの方が社会の将来における影響が甚大!でも「今なら」費用対効果も極めて大きいので、思い切って投資すべき!!
というべき問題がありまして……私も、迂闊にも知らなかったのですが。春のコロナの渦中に公表された記事。
……これ、絶対ヤバいです。
東京 青海ふ頭でヒアリ500匹以上発見 環境省 駆除進める | 環境 | NHKニュース(10月1日付)
千葉港でヒアリ確認 千葉市 | 千葉日報オンライン(9月29日付)
名古屋港でヒアリ女王数十匹 巣に卵やさなぎ―環境省:時事ドットコム(9月25日付)
国立環境研究所・侵入生物研究チームでヒアリ対策の中心となっている五箇公一さん、「緊縮財政国家において、今さら、ヒアリを退治するために何十億も欲しいなんて言えない」とか、遠慮なさっている場合じゃないです!!
「ヒアリが出たとなったら、ゴルフ場も、公園も閉鎖される。学校もしばらくは使えなくなるでしょう。日本の場合、花見とか花火大会とかで、平気で地面に座って観賞するでしょう。そんなこともできなくなりますよ」
五箇公一さん、私も、環境の世界におりましたので、昔から少しは存じ上げておりまして、人格も見識も本当に優れた人なんですが(上皇様に御進講なさったこともあったはず)……遠慮深くて。お願いですからどうぞ使ってください、何十億でも!!
だって「東京都のPCR検査拡大」のための予算が、30億円ですよ……具体的に、どれだけ感染拡大防止に寄与できるかもわからないのに。
www.tokyo-np.co.jp 失敗したら、全国津々浦々、間違いなく深刻な影響被害が出るヒアリ対策が、方法も、効果もわかっているのに
五箇氏は「何よりお金が足りない……」と嘆く。
いやいやいやいや!!!ちょっと、これ!!!何とかしましょうよ?!?!
……という声なんて、絶対に、政府には届くまいと思いつつ、でも、1人でも多くの方に、このヒアリ問題について知って頂きたく、今回の記事をしたためました。
なんと申しますか、私たちは、結局は「失敗する社会」の中で生きているのですよ。戦前から、今も、ずーっと。なにしろ福島第一原発の仙台高裁の判決も出ましたが、リスクが想定できたはずなのに必要な投資もできない、民主主義と言えば聞こえだけはいい、ただの「長いものには巻かれろ」で、結果については全員で苦労しましょうという、無責任体制の多数決社会ですからね……日本は。
多数決なので、どうしようもないですが(少なくとも、私ごときに、世論に影響する発信ができる力量などは何もございません)、せめて「あなたさま」ご自身だけでも、身をしっかり守りつつ、投資の意味を改めて考えて、より有意義な人生を歩むことができることを願いまして。
それでは、また。とにかく、お元気で。