超簡単薪ストーブ調理

当社で販売している薪ストーブで、どんな冬の暮らしが待っているかを紹介しているブログです。  興味を持って頂けましたらぜひお問い合わせ下さい

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生きるために必要な全てのリソースは他者との関係性からしかもたらされないという真実から改めて考えた件

 猛暑の中、久しぶりの更新でございますが……

「いや~~、薪ストーブのブログってはずなのに、開いてみたら、なんかトロンボーンの記事が書いてあるし、なんだこりゃ?って(笑)」

aiken-makiss.hatenablog.com 冒頭写真の「婦人公論」において、広告ページを担当なさっている「有限会社エーエフエヌ」の営業担当者さんから、以上のような、率直な感想を頂戴いたしました(笑)

www.afn-jp.com ホントそうなんですよね……もちろん、キーワードやカテゴリーから探して頂けますと、それなりに「本題」に沿った記事もあるのですが、なにしろ「心動かされた」事柄について、これは皆さんにも、ぜひ紹介したい!!というのが当ブログの趣旨ですので、この世界が調理以外の要素を山のように持っている以上、どうしても色んな話題になってしまいまして……m(__)m

 で、弊社、販促する気あるんだかないんだかってところですが、媒体としては朝日新聞のマイベストプロ、これはぶっちゃけてしまうと「なんだ?この怪しげな会社(薪ストーブ屋)は……」という不安を少しでも和らげて頂くことができるかしら?という動機で「ウチに載せませんか?」というお誘いに乗ったのですが……

mbp-japan.com それ以外は、もう、PRだ、販促だ、と仰る営業という営業を全部お断りしてきました(あの……これ、実際に事業をやってみられないとわからないかもですが、ホント、ものすごいですよ???あの手この手じゃないけど)。それなのに今回、例外的に「婦人公論」さんでの広告掲載のお話に乗らせて頂きました。

 ……まあ、これはお誘い頂いた営業担当者さんも仰っていたけども、正直、これ見て「わあ、これは素敵、問い合わせしてみようかしら」なんて展開は、まずないと思っているんですね?けど、もしかしたらお一人くらい、これで人生変わる方もいるかもしれません。ただの偶然ですけど、この「婦人公論」7月12日発売号は「防災の備え」も特集しておりました。この特集号をわざわざお金出して買おうという方でしたら…….

 弊社の薪ストーブは、この特集の趣旨にも、むちゃくちゃ合ってますからね。たとえば2年以上前の記事ですが。

aiken-makiss.hatenablog.com

 それはともかく、私には、もう、個人的には確信している「仮説」がございまして。人生は、運命という「偶然を装った必然」から出来ております。こちら↓の記事での最後のほうに紹介している、とある書籍があるのですが、神書籍だと私は思います。「人生に最も役に立つ一冊」と問われたら、私はもう迷いなくこれをお勧めします。人生がどう展開するかなんて、重要な部分においては、自分自身の力など到底及ぶものではありません。

aiken-makiss.hatenablog.com

 そんな私が、今回「婦人公論」の広告掲載のお誘いに乗った理由は

 

 単に、面白そうだったから(誘って頂いた営業担当者さんが)

 

 いや、この営業担当者さん、とても近しい方が薪ストーブで実際に暮らしていらっしゃるとかで、巻き込まれて薪集めにも駆り出されたりして、薪ストーブの暮らしのリアルをとてもよくご存じで、たまたま私の薪ストーブに関する発信を知って「正直すぎる」と、ものすごく面白がってくれたんですね?私「いいんですか??私なんて薪ストーブ業界では異端中の異端ですよ?業界からクレーム来るかもしれませんよ」って申し上げたんですが、それが良いんだと。

 そこまで言って頂けるなら……と、その場で、お誘いに乗りはしましたが、私にも実は、別途、ものすごい問題意識がありまして。

support.google.com ↑これ、リアルなやり取りなんですけど、こちらの大垣「縁音」さんの紹介記事って、もとはGoogleMapのレポートだったんですよ。

aiken-makiss.hatenablog.com GoogleMapの今のガイドラインはどうなっているか知りませんが、当時のガイドラインには何も違反はしていなかったけども、ずーっと、掲載拒否されていたんです。結論言えば「文章が長すぎたから」以上、って感じで(ブログはGoogleMapレポートよりも、さらにさらに長くなってますが)、文章を短く整理すれば、普通に掲載されたんだと思うのですが……

 私、それを「このレポートは載せてあげない、載せて欲しければ自分で考えて修正せよ」と、ダメな理由を例示することもなく、ただただ掲載拒否するGoogleMapの在り方に、すっごい腹を立てたんですね?何様のつもりだと。

 そこで、私はGoogleMapに掲載しようとしていた写真(これは文章は掲載拒否でも、ずっと掲載されていた)などコンテンツの全てを、「縁音」さんの事前了承も頂いてGoogleMapから引き揚げて、このブログ記事にまとめて公開したのです。そしたら、次に何が起こったかと言いますと……

 

Google検索で、この「縁音」さんについての、当時もっとも詳細(かつ正確、縁音さん評)なレポートを、検索結果表示の圏外に吹っ飛ばした

 

んですよ、Google先生は。皆さんご存じとは思うのですがGoogle検索は、特に新型コロナやワクチン関係を巡って、非常に恣意的な検索結果を示すようになっていて、Google検索、買い物や地図紐づけにはとても便利ですが、恣意的な検索結果が表示される可能性のあるテーマについては、私はこちらの記事にある

allabout.co.jpDuckDuckGoという検索エンジンを使うのですが、そちらでは「縁音」さんについての私のレポートがちゃんと検索結果に出てくる、そんな状態を1年半にわたって継続したのです。

 今はGoogle検索でも普通に表示されるようになり、それはおそらく、検索アルゴリズムが変更になりAIで普通に判断するようになったためだろうと思うのですが……

 とにかく身をもって学んだのは

 

生きるために検索エンジンはもはや欠かせないが、幼稚ともいえる動機に基づく恣意的な検索結果を、さも「いや、公平公正です」というフリをしながら示すGoogleのような主体に、生殺与奪の権利を握られてはたまらない

 

という問題意識だったのです。これ、皆さん、私のブログ記事を愛読いただいている方でしたら充分ご認識でしょうけど、今や、世の中についての「客観的で確からしい情報」を手に入れるというのは、すごく難しくなっていて、今、私は

 

「本当に信頼できるリアルな人つながり」からしか、大切なテーマにおける確からしい情報は手に入らない

 

と考えております。そのような問題意識から、無料のWeb情報に飽き足らず、わざわざ紙の有料媒体を買おうとする「婦人公論」の読者さん、そして

人が人である限り広告は心のコミュニケーションです。「クライアント様の心を広告を通して消費者の心へお届けする」それが私たちの使命であり責任であると思っています。 

www.afn-jp.comその(というか「あの」)「婦人公論」さんの広告を一手に任されている有限会社エーエフエヌさんとの「ご縁」、すなわち「他者との関係性」という側面からの展開も、もしかしたらあるかもね……と考えまして、このたびの広告掲載のお誘いに乗ったわけです。

 

 ここでちょっと、先ほどの話と申しますか「本題」に戻っていくんですけど……

 

他者との関係性は、基本的には自分自身の力でコントロールできるものではない。

 

 私が持っていたのは「問題意識」だけです。今回のような形で、それを展開させようなんて、私自身の力では「全く」思ってもいませんでした。「たまたま」お声がけ頂いただけ

 実は「婦人公論」での広告掲載はブログのネタとして良かったな、と思っているだけで(笑)たぶん効果としては、実際には「ない」とも思っていますが、このお声がけ頂いて、それに乗ったことで、弊社、私の運命も大きく変わることだって、もしかしてあるかもしれない。

 でもやっぱり、改めて考えてみて、私が今生きている、そのために必要なリソースは、自分の力で勝ち取ったものなんて……これは、私だけなのかもしれませんが……殆ど「ない」んですよ。ぜーんぶ、他者との関係性からもたらされたものです。

 例えば、このたびの「婦人公論」さんでの広告掲載に合わせて、弊社が提供したい価値が、より理解いただきやすくなるようにWebサイトの写真を増やしましたが、それらも全部、ユーザーの皆さんが自らのご厚意で私に提供くださったものです。

 今回「情報」ということを切り口にして、他者からの関係性という、AIとか今ふうの客観的?でグローバルでスマートなものとは基本的には相容れない、昔ながらのウェットな「ご縁」からもたらされる「生きるために必要なリソース」の重要性を論じていますが、そもそも「情報」以前に「全てのリソース」は、個々の人が持つ「他者との関係性」からしかもたらされる以外にはあり得ないのです。

 例えば……私が独立して会社を成立させていくために必要だった資金だって、高齢の父親が存命で、彼が自分の子供の為なら本当に惜しげなくお金を流してくれる考えの持ち主で、彼が現役のころ社会的に立派なポジションにいたので、世の中のお金が「年金」として彼に豊潤に供給され、それを回り回って結果的にわたくしが使わせていただいておりますm(__)m

 私の人生は、自力ではどうにもできなかった、情けない、運が良いだけの実例ですが、でも万人にとって、お金に限らず、仕事にしても、結局は全てが他者との関係性からしかやってきません。これは真実です。食べ物だって他者の「命」ですし(無人島では自然界に暮らす他者の命を自らの手で直接奪って生きるが、人間社会ではそのプロセスを他者にやってもらっているだけ)、そもそも「人間」というのは誰か他者に必要とされない限り生きていけない存在です

 このように、生きるために必要な全てのリソースは他者との関係性からしかもたらされず、それ以外の経路からもたらされることはあり得ないということを改めて考えれば、より確実に、よりよく生きていくためには

 

他者との関係性を、いつも出来るだけ整えておく、より良いものにしておくことが大切

 

ということが、ほとんど全てであって、具体的には「何でも受け入れて感謝する」といった態度、考え方が大切だという、ごく当たり前の結論に落ち着きます。

 逆に言えば、運命において、自分の身に降りかかってくる色んなことを、全て他人のせいにして責め続ける生き方も選べる、そういう「自由度」も、私たちは誰もが持っているわけですが、そんな人と、誰が積極的に関わり合いになりたいと思うでしょうか?あるいは、誰がいい話を持っていこうと思うでしょうか?

 冒頭に申しましたが、人間、運命にはどうしても振り回されます。どうにもならないことの方が、自分の力でどうにかできることよりも、はるかに支配的に影響しますが、それでも、確率論的に「この振る舞いをしていると、どういうリソースが、今後自分にもたらされる可能性が高いか?」ということは、自分自身で、自由意思で、決めることができます。

 そして、その自由意志をどのように持つか?ということこそが、その人にとっての人生の意味そのものであろうと、私は考えております。

 

 ごくあたりまえのことを、長々と論じてしまいましたが、最後に、わたくし自身の喫緊の「運命に振り回される例」を。

 直接薪ストーブの設置に私がお伺いしたユーザーさんでしたら、多くの方がご存じでしょうけども、私には「かけがえのないパートナー」がおりました。

 14年半生きて、まだまだ、リード付けて散歩に出ようものなら、私が足が追い付かずに転ばされそうになるほど身体良好、ものすごく元気でしたが7月15日未明、交通事故でこの世を去りました。その経緯や受け止めなどは、こちらTwitter(X)の個人アカウントの投稿にスレッド(返信ポスト)をぶら下げて、報告しております。

 私は、私の人生において、あの子から、いっぱいいっぱいの、語り尽くすことなどできない豊かな「リソース」を頂きました。でもこれから、とりわけ最近になって代々の野犬としての血筋に由来する気高い気性がどんどん出てきていて(最近は私ですら、身体に触られるのを警戒するというか、嫌がるようになっていました)、単なる法定の狂犬病予防接種だってこの調子では困難を極めるだろうという悩みから、近い将来確実に衰えていくことへの介護対処も含めて、どうしていったらいいかと悩み始めた矢先のタイミングで、あの子はあっさり旅立ってしまいました。

 そのため、これから、あの子に充てようとしていた私の「リソース」、時間や労力は、ポッカリと、その行き場を失うことになりました。あの子との関係性においては私は「良いところ取り」だけ、14年、あの子と共に過ごした本当に良い思い出しかなく(お客さまにおかれましては、本当に、こんなバカな飼い主と、あの子に、本当に良くして頂きました。この場を借りて改めて厚く御礼申し上げます)、私は、あの子に対して何の「恩返し」もできませんでした。

 だから、その代わりに、もし私が何かできるとすれば、あの子が命と引き換えに「わたしにくれた時間」、これを少しも無駄にすることなく、有効に使って仕事をすることしかありません。すなわち、この世界の他者のために、少しでも上質なリソースとして、さまざまなものを提供しようとするだけです。

 結果的に、あの子のおかげで、私の人生は、外の世界との関係において、より多くの意味を持てるようになるだろうと思うし、そうしなければあの子が今死んだことの意味がありません。けど…………生身の人間としては「そんなもの」要らない、あの子が老衰で私の腕の中で息を引き取るまで、どんなに時間と労力を取られても、ずっとずっと、一緒に暮らしたかった……それが私の偽らざる本音です。

 

 つくづく思うに運命は、いつも「斜め上」、生身の人間には期待も想像も出来なかったところから「次の展開」を降らせてくるものです。それが人の身にはどれほど残酷に思えることであっても「人生で起こることは全て必然」です。

 つまらない個人的な話をしましたが、自らの身に降りかかった全てのことを、出来れば「感謝の思い」と共に位置付け、あるいはそこから「よりよく生きるための教訓」として何かしら学び取り、それらの「リソース」も目一杯に生かして他者との関係性を整え、最後の最後まで出来る限り誠実に、一生懸命に生きましょう。

 それでは、また。お元気で。