これまでで最も強い寒気団と冬型の気圧配置で、今朝は本当に冷え込みました。名古屋でもマイナス3℃、新潟や北陸方面にいらっしゃるのでしたら、とんでもない大雪で大変なことです!!大丈夫でいらっしゃいますでしょうか??
【追記1月13日:福井に居る長女から、こんな写真が届きました。あらら………】
人類が科学力を得た一方で、温暖化に伴う気候の不安定化、結局人類は、いつになっても、自然からの恵みに感謝し、神様に祈る、という根本からは抜けられない、抜けてはならないと、私などは思うのですが……
日常生活の中で、風習というのか、季節に合わせた「仕掛け」が、そういう根本に思いを馳せることを助けてくれますが、鏡開きとしてお餅を食べるのも、そういうことかもしれません。
そういうわけで、お餅です。人間、もしかしたら日本人という民族に特有なのかもしれませんが、ただお茶を飲むだけでも「茶道」として、入れ方、飲み方にこだわり、「心」を求めるように、お餅をただ焼くにしても、焼ければ何でもいい、ということではないのかなと思います。
そこで、そういう「焼き方」だとか、一言で言えば「調理」なわけですが、そこに意味というか、「心」を持たせるのに便利というか、自然と思いを馳せさせてくれる「調理台」が薪ストーブです。
とっても静かに、餅を焼きます。そして「おしるこ」「ぜんざい」……この定義は実は奥が深いのですが(笑)こちらの方が、素敵にまとめられていますが
darekanotame.com 要するに、小豆をとても甘く煮た汁に、焼いたお餅をつけて、頂こうとしているのが、こちらの動画です。
youtu.be こうやって、静かに焼いていると、例えば、このお餅は、妻の実家でついたものを分けて頂いてきたのですが、そのこと、妻の両親のことが思い起こされたり、例年だったら参加している古い知り合いが集まるお餅つき、今年は忙しくて断っちゃったけど皆さん元気かな…とか、そんなことも考えます。そうしているうちに……
心が、整うのです。
「火のある暮らし」
そこに意味を見い出すとすれば、いちばん大きいのが、この「心が整う」ということじゃないかと私は思います。
かつて「囲炉裏」という装置がありました。「火のある暮らし」そのものでした。囲炉裏は、現在の社会生活環境や、住宅の技術基準にはまるで適合しなくなったので、特殊な再現的環境でしか使えないものになりましたが、現代の囲炉裏と言うべき装置が薪ストーブ。
私は、モキ製作所というメーカーの薪ストーブ、とりわけMD80Ⅱという機種ばかりを売っている設置販売業者ですが「これしか売れない(他メーカーの機種を商売として扱ってもいいのに、自分として扱うことができない)」のには色んな理由があるのですが、一つ強調したいのは「囲炉裏」に最も近い薪ストーブが、このMD80Ⅱ(できればiGブースターを付加したもの)であろうと。
私、この仕事をやればやるほど、経験を積み重ねていくほど、不思議な感覚に襲われるのですが、薪ストーブに多少なりとも詳しい方なら一般に知られている常識とは、全く異なったところに「真実がある」という、確信が得られていくのです。
ここは、かなり深い技術的要素論を含むのですが、古の「囲炉裏」という装置の在り方を合わせて想像してみて頂きたいのですが、動画にあるような穏やかで繊細な炎で餅を焼いている状態のMD80Ⅱは、他の一般的な薪ストーブに比べると、「特別に囲炉裏に近い」と考えざるを得ないのです。
ご存知のとおり、本来、モキ製作所というメーカーの薪ストーブは「焼却炉」の異名も持つように、なんでも、ガンガンに燃やすことができて、それで「特別に暖かい」という「異色の」薪ストーブです。乱暴で情緒がないともいわれます。繊細さとは程多いイーメジかと思います(それは、使い方によって真実であろうと思います)。
しかし、私が実際にやってみた話として、そのモキ製作所の薪ストーブの「特別に暖かい」という特性を、より少ない薪で発揮させようとすると、途端に事情が様変わりします。燃やし手に、感性と腕前を要求する、極端ともいえるほど繊細な装置に早変わりします。
その「繊細さ」は、「囲炉裏」のそれと、全く同じだと私は感じています。
「囲炉裏」は、チェーンソーもない時代、森から伐ってきたり拾ってきた、あるいはそういう人たちから買った貴重な薪を、細々と、炎を絶やさない程度に、炎の様子を見ながら、感性と腕前を頼りに丁寧に火にくべていき、その限られた火力で、鍋を沸かし、魚を焼き、暖を取っていた、極めて繊細な装置です。
少なくとも、暖を取るためといいつつ、寒いからとガンガンに贅沢に薪を燃やしたとか、熾火がゴウゴウと言わんばかりに豊富に蓄積しているとか、到底考えられないのです。
このような炎に対する「繊細さ」は、便利か、不便か?と問われたら、不便だと思います。思うような「穏やかな炎」を保つには相当な腕前が要ります。
【追記:1月18日】
大切なこと、一番肝心なことを、書き忘れていました。不便かもしれないけど、感性と腕前を頼りに、一本、一本の薪の木の種類や状態を見極めて、良い位置にくべて、思うように穏やかな炎を保つ、「炎と対話する」というのは、実は、ものすごく楽しいです!!
【追記終わり、以下、この追記に伴う一部の語句追加修正あり(主に太字部)】
けれど「iGブースター」は、その「不便さ」を劇的に改善する効果があり、この動画のような炎と、静かに餅が焼ける様子を、心穏やかに、ゆったりと楽しむことができます。かなりラクに穏やかな炎が保てるというか、初心者でもノーマルに比べて格段にやり易くなっています。ガラスが曇らなくて、炎もとてもよく見えますから。
そしてこの程度の炎でも、天板は、直接鍋を置いてしまうとグツグツと煮え立ってしまうのですが、そこは、写真や動画のように、網を一枚かますだけで、「囲炉裏の上にぶら下げられた鍋」の状態を再現できます。
「好み」の問題、というか、こんなの「私だけ」の「趣味の問題」であろうかとも思いますが……私は、動画のような穏やかな炎を眺めながら、薪の一本一本と対話するように丁寧に炎にくべながら、じっくり、ゆっくりとお餅を焼いていると、贅沢だな、幸せだな、と思います。心、整います。
「火のある暮らし」、炎と共に暮らす意味というのは、本来、こういうことでなかったかと。
この「現代の囲炉裏」が我が家に来てくれたことに伴う、私にとって唯一の問題点、不満は、本当に「出かけたい」と思うことがなくなりました。冬の行動頻度が極端に少なくなってしまいました(笑)
だって、心が穏やかに整ってしまうんですもの……静かに、落ち着いて。そこに、美味しいものがあれば、もう、言うことはありません。
……とっても、おいしゅうございました。命に感謝、妻の両親に感謝、井村屋(やっぱり、ここの小豆缶が一番美味い)に感謝です(笑)
そういうわけで、ごめんなさい、薪ストーブ設置設計図面その他、お待たせしてしまっております。従前の環境調査の仕事でもいっぱいお待たせしてしまっております。こんなブログ書いている場合ではないのす、実際のところは。
けど、どうしてもお伝えしたい、大切なことがあります。大切なことをお伝えするにはタイミングも重要です。昨日は鏡開き、この厳しい寒さでインフルエンザも流行っています。鳥インフルも、いよいよ初の感染例が香川県で認められ、過酷な戦いが始まりました。
自然の恵みに感謝し、皆さまの無病息災を祈って。
私も自分自身の仕事、精一杯頑張ります!それでは、また!!