冒頭写真は今朝の我が家の写真です。ここ数年、こんな写真を撮ることもなかったので久しぶりの感慨があります。
私ももちろんですが、人間、良くも悪くも肌感覚に非常に左右される生き物で、ここ数年、薪ストーブの問い合わせの数が激減していて、それでも寒くなったタイミングでは増えましたが、今日のような日は薪ストーブの存在価値が、これはどうしても特に実感されます。
日本海側が豪雪になっていること自体は過去にもよくありましたが、今回は積雪量が地域によって倍とか酷いし、四国や九州、太平洋側でも積雪があり、そして厳しい冷え込みです。私の頭の中では、まず、導入を色々迷われた末に決断された方々の暮らしが守られているだろうということに安堵の思いが浮かびます。
www.aikenmakiss.com 本当に色んな方々のことが思い浮かびます。米国から日本に戻って単身広島の山の中に暮らされているあの女性は近所のおじさん方からちゃんと薪集め手伝えてもらえているだろうか?とか、コロナ禍の元で県庁の中で上司と対立しながら家族を一生懸命守っていらした山口のあのご主人どうなさっているだろうか?とか、京丹波でリモートワークの利点をフル活用しながら独自の安全保障を模索して薪ストーブ本体入れ替えてまで合理性を追求されたあの超頭良い人は自分の選択正しさにほくそ笑んでいるかもなとか……本当にキリがありません。
そういった私のユーザーさん一人一人には、私、自分が導入を手掛けた薪ストーブを「あの子」って呼んでしまうのですが、あの子は必ず、何かしら役に立ってくれているという安堵感を覚えるのですが(何しろ私の仕事の動機は「この人の人生の役に立ちたい」なのです)、一方で、いろいろ迷われた末に、導入を断念されたり、巷によくある普通の薪ストーブの機種にされたのだろう方々のことを思い出すと、大丈夫かなぁと心が曇ります。
……というか、私は反省してます。薪ストーブの意味について「贅沢には贅沢の価値がある」ということが通説で、それは未だに非常に根強く、とりわけ富裕層の方々……具体的には何かあれば数百万円現金で躊躇なくいつでも買えて、ヘタしたら数千万とかいつも動かせるとか、たまに私に問い合わせ頂く方にもいらっしゃるのですが、そういう方々には「贅沢には贅沢の価値」という薪ストーブで全然良いと思うのですが……
一方、普通の暮らしの範疇に入る方々(これは大企業や公務員上級でも)から伺う「薪集めを今は自力でやっているが大変で、いつまでやれるかわからない(触媒型の薪ストーブのユーザさん)」とか「新築ログハウスビルダーから薪ストーブを勧められたが、暮らしで使えるものにしたい」とか、そういうご相談を相当具体的に受けながら、結局は巷によくある「贅沢には贅沢の価値」に相当する薪ストーブを入れられたのだろう方々には「申し訳ない」と思ってしまうのです。
そこに視覚上で炎が存在しても、その熱が使えないことには暮らし的には仕方ないわけです。熱源として早く機能してもらわなければ困ります。暮らしというものは、普通、いかにタイミングよく、パッパと回していけるか?が本質ですので。
その意味では、上述の「2か月放置した畑の野菜を使って料理をする。」動画で用いられている、ホームセンターなどでもよく見かける、激安の薪ストーブは、すごく優秀です。
「え?私の薪ストーブのイメージはこんなのではなくて……」
はい、仰ることはよくわかります。しかし、薪ストーブから得られる価値だけに注目すれば、上述する動画で展開されている薪ストーブの活躍ぶりは、まさに正しいのです。捨てられているような木材を活用して、美味しい料理を作ることに成功しています。炎の揺らめきを愛でるとか、そんなの関係ない「生活の要」としての薪ストーブです。
炎の揺らめきを愛でなくても暮らしは成立しますが、優秀な熱源がないことには暮らしは成立しません。この熱源として「たまたま」薪ストーブも採用できる場合がある、そんな薪ストーブに期待する価値が、実際に存在するわけです。昨今ブームのアウトドア用薪ストーブも、この文脈によります。
mbp-japan.com 頼りになる生活道具としての薪ストーブの有効性、これがどれほど大きいかということです。この「マイベストプロ」の記事はシリーズで、記事の下に直接リンクのほか「前の記事」「次の記事」と飛べますので、是非、確認の意味でご覧になってみて下さいませ。
私の心がすごく曇るのは、特にコロナ禍を最終的な分岐点として、私たちの日本社会は「贅沢には贅沢の価値がある」と悠長に言っていられる状況ではなくなってきてしまったなと。この状況の変化は加速度的に起こってきます。ところが人々の意識は、例えば5年前の状況を引きずったまま。
実際に、少し考えてみて下さい。モノのお値段、今、キャベツが3倍、白菜が2倍高いのは、昨夏の猛暑に秋以降の極端な少雨ということで、もしかしたら一定程度お値段元に戻るかもしれませんが、たぶんこれまでのレベルにはもう戻らないと思いますし、新車や新築なんてどうでしょう?5年前比で感覚1.5倍とか普通だと思います。私たちが働いて手にするできるお金は変わっていないのに。それだけ日本の国力は低下したわけです。賃金が上昇しているとニュースでは聞きますが、現実は、ほぼほぼ変わっていません。
さて、野菜の値段があきらかに上がっている。飲食店も値上がりをつづけていて、潰れる飲食店も多いと聞く。われわれは4、5年、コロナ対策に「全振り」して経済成長を放棄したのだから、賃金上昇が追いつかない。というか、社会保障にかかわる分野だけ成長・増大してしまった。ひどい時代である。
— 田中希生 (@kio_tanaka) 2025年1月9日
このように私たちを取り巻く社会の状況は、肌感覚で感じにくいだけで(個人的には、暑さ寒さは別として、どうも普段付き合っている人のあいだで「空気」が変わらないことには、人間社会としての状況変化を肌で感じる能力は人間は低いと思っています。テレビなどの視聴覚情報に容易に騙される印象)、ものすごく悪化をしてしまっていて、しかも、それは加速度を増していると思っています。
要するに「贅沢には贅沢の価値」と言っているよりも「暮らしを実際に守る」という側面にシフトしていかないことには、ものすごく残念なことに、これから日本で暮らす私たちとして、暮らしが立ち行かない可能性が高くなってきていると感じるのです。だからこそ、この寒波で私の心は曇るわけです「もっと強く勧めておけばよかった」と。
何しろ、ここから少し餅屋(つまり薪ストーブの専門家)として話をしますが、暮らしを支えてくれる道具として薪ストーブを捉えた場合、巷によくある、たとえば横長の広大なガラス窓を持ち安定した炎をゆらゆらと魅せてくれる薪ストーブは、例えば次のような問題を抱えます。
- 薪の調達が困難。即ち、薪の原木として密度が詰まって成長の遅い貴重品である広葉樹のナラやカシを必須スペックとしており、ナラやカシを大量の薪に加工する労力もさることながら、原木の調達は森林としてのストック(60年生とかの樹に頼っている)の減少(手軽な樹は既に切られて、次第に伐採困難な樹だけになりつつある)を始め、ますますのコスト増傾向が明らか。
- 煙の問題への対処が困難。即ち、立ち上げの際に濃い煙が出る傾向はどんな良い薪を使っても同じであり、太い薪が安定的に燃えてくれる薪ストーブほど原理的に立ち上げには時間と、排煙処理システムが効いてくるまでに多量の薪を要するため、1.の問題をクリアーして連続運転を実現しないことには近隣からの苦情リスクを抱える。
- 日常的に使うには気が重すぎる。即ち、普段の立ち上げ1回ごとに煙への気遣いのみならず、端材も含めて多量の燃料を必要とし、また薪ストーブとしての暖房や調理熱源としての機能までに例えば1時間とかを要する(私の推しているMD70Kissなら10分未満)。そして使い方によるが、使えば使うほど消耗品交換や分解掃除などのコストと手間を要するために、使わない方が合理的になってしまう(MD70Kissでは交換すべき部品も分解掃除も何も必要ない)。
- そもそも暖房装置や調理器具として暮らしの役に立つように機能させようとした場合に必要となる薪の絶対量が多すぎる(朝晩だけ使うにしても、毎日使えば軽トラック(0.7立米として計算)10台分以上は必須(MD70Kissでは実績で4台分等で暮らしている)
私は生活者としてはMD70Kissですら「重いな~~」と悩んでいます。けど、近隣に煙で迷惑をかけないようにしながら、自分の体力や経済力で薪を集めて暮らすことは、決して不可能でもないし(何しろ「何でも燃やせる薪ストーブ」燃料を全く選びません)、何より得られる効果、中でも安心効果というのは物凄く大きいので「それだけ」でも「暮らしを支えてくれる必需品」です。まさに参照記事でいう「優秀な熱源」です。
なぜここで「それだけ」と申し上げたかというと、私にとっては、本当の本当に「住宅地でも樹に囲まれて暮らしたい」という暮らしのスタイル根幹において、モキ製作所の薪ストーブでなきゃ絶対に無理だったという事情を抱えていたりするためです。人によって、暖房や調理の熱源以上の意味、いろいろあるかと思います、実際に。
わたし「薪ストーブのある暮らし」を実現するお手伝いをさせて頂くことでご飯を食べているので、あんまり夢のないこと言いたくないんだけど……生活者としての我が家での薪ストーブって本当の意味で「単なる必需品」であって、これがないと暮らしが成り立たない。例えば今は小春日和の大晦日ですけど→ pic.twitter.com/fJXqQXZ5n4
— 大屋@薪ストーブ事業 (@aiken_makiss) 2024年12月31日
それはともかく、何故、私が心曇るかというと、この「優秀な熱源」の程度問題、優劣というのは、実際に使ってみたらすぐにわかるのですが、そうでない限り、想像がつかないのですよ……でも、あえて申し上げると、製品デザインって、まさに意味を体現していまして、このデザインは「(巷のよくある薪ストーブとは)次元が違う」というべき実用品としての優秀さを物語っているのです。
aiken-makiss.hatenablog.com これが、なかなかわかって頂けない。「そうはいっても、薪ストーブなら、だいたい似たようなものでしょう」と、私に言わせれば「甘く」考えられてしまう。この違いをわかったうえで「贅沢には贅沢の価値」をお求めになるのは全然良いのですが、実際には私自身も甘いと申しますか、つい「自由意志」を尊重してしまうクセがあります。医療でいうところのインフォームドコンセントが決して充分とも言えないのに……
これまで、私のユーザーさんは私が「この人の人生の役に立ちたい」と思うに、それぞれ充分な哲学と申しますか、善い生き方をされてきた方々ばかりで、だから上記の問題に関しても、こんなことを仰った方(女性)がいらっしゃいます。
大屋さん、あのね?これから、私たちの社会は暖房のための燃料調達さえ立ち行かなくなる可能性があるの。その時、日本には森林資源があるけど、それは、昔のように取り合いになってしまう。そこで、薪をたくさんたくさん使わなければならない薪ストーブというのは、もう全くダメだと思う。限られた資源をちゃんと分け合って暮らさないといけないから。そのとき、いかに少ない薪で使えるかということは何よりも大事でしょう?あと同時に煙の問題もある。だから、薪ストーブを大屋さんにお願いするのは、私には一択だったの。
私は、このユーザーさんの慧眼、ものの考え方に衝撃を受けて「ありがたい」と思ったと同時に「いや、まさか、そんなことまで……」とも思ったものです。今から5年以上前のことです。私は5年前なんて、全然社会の将来を心配もしてなかった。
でも、いよいよこれからはそうはいかない。「先のことはわからない、心配していても仕方ない」は人生いつ終わるか?という意味ではそうですが、現実的に分かり切っている話には当然、有効に対処していかなければなりません。ちなみに最大のリスクは、実は「周辺の普通の人」でもあるところです。
少なくとも、これも皆さんわかっていらっしゃると思いますが、例えば今日のような雪道の朝に、深刻な「全く進めない、二進も三進もいかない」という状態を作り出すには、スタッドレスを履いていないままで「なんとかなるだろう」と甘く見て通勤路を走り始めた一台の車で充分なわけです。誰もが自分と同じ程度の知性と良心をもって物事に当たるというのは、これも、その期待は捨てざるを得ない社会になりつつあります。
そうなってくると、そこで山に籠るわけにもいかない私たちにせめて出来ることは
可能な限り、自立独立してて、他者に影響されにくい(他者と競合しない)暮らしのベースを確保すること。
自分以外の他者がちゃんと振舞ってくれることに期待することは、ものすごく残念ですが、リスクが高すぎる状況にこれからますますなっていくことと思います。まずそこで自分だけでも良好に戦闘力を維持できないと社会の再生もあり得ません。でも、そんな状況だからこそ、逆説的に、
この人は人徳も知性もある善い人だと信頼のおける人と繋がっておくこと
このことが決定的に重要になると思います。薪ストーブは、これは熱源の問題ですので、まあ大したことないといえば大したことありません(とはいえ、無茶苦茶重要ですけどね……やっぱり)。しかし「この人は人徳も知性もある善い人だと信頼のおける人と繋がっておくこと」これは圧倒的な真理です。人間独りでは限界あるというか、独りでは生きられませんから。より良く生きるための真理です。
そこで普段の振舞い、心掛けとして大切なのは、肌感覚、五感を常に鋭敏になるようにしておくことでしょうか……現場に実際に立って風を感じてみる、モノに実際に触れてみるというレベルのことではありますが。何故これを申し上げるかと言いますと、「この人」を見分ける最大のポイントは、本当に、肌感覚、五感だからです。ネット上ではちょっとそれが発揮されにくいので、どうしても騙されやすくなってしまうのは留意が必要です。
私がこのブログを書こうと思ったのも、この久しぶりの雪の早朝に布団の中から出てみて、実際に外をちょっと走ってみて、それで戻って来て薪ストーブ焚いてネコ温めて……という肌感覚が「書かなきゃ」という動機を与えてくれました。肌感覚は大抵「最も正しいこと」の指針を与えてくれます。
AIの可能性について語る落語家の師匠とAI研究者の黒川伊保子先生の話を聴きながら、ブログを書いてます。今日の寒さだと、このくらい焚いてちょうどいい感じ。 pic.twitter.com/8Gg5Bqp8ZK
— 大屋@薪ストーブ事業 (@aiken_makiss) 2025年1月10日
状況が複雑で、深刻になればなるほど、重要なのは「観測」です。私が現役の環境調査員だった頃から確信していることが一つあります。「生身の人間は最高性能の観測器」ということです。ですので、皆さまにおかれましても、是非、このようなネット上の論説は一つの参考ということに留めて、リアルの肌感覚として「これからの暮らしを守るために何をするべきか」をご自身の中に落とし込んでいって下さればと。
それでは、また!お元気で。