超簡単薪ストーブ調理

当社で販売している薪ストーブで、どんな冬の暮らしが待っているかを紹介しているブログです。  興味を持って頂けましたらぜひお問い合わせ下さい

※各記事の画像は選択後、右クリック「画像だけを表示」でオリジナルサイズで表示できます

大切な場所に「今」行くべき3つの理由

f:id:aiken_makiss:20200814184136j:plain

 いや~~暑い日が続きます。夏です。こうも暑いと、やっぱりきれいな川にでも行かないことには気が済みません。というか、年に一度は、冷たい川の中に頭からザブンと入ってバシャバシャやらないことには「私にとっての夏が来ない」のです(笑)

youtu.be 世の中は、とっても便利になりました。20年前くらいだったら、こういうことをやろうと思ったら、内部のボタンが押せるように工夫されたゴツイ専用の防水ケースに、パッキンにグリースを念入りに塗ったうえで、シリカゲルと一緒にデジカメを仕込む……みたいな準備が必要でしたが、今だったらスマホを専用袋に入れるだけです。

 ちなみに専用袋とはいえ耐水圧は「なんちゃって」レベルですので、こんな流水圧がかかると、すぐに浸水してきますのでご注意を。全身を水の中に浸けると、水圧のためにとても立ってなど居られないので泳いでみるのですが、前には全く進めません(笑)

 最近は、もっと便利で、専用袋も何もなしで、たぶん……そのままでいけるのかなぁ??スマホはどうか知りませんが、この水圧でも何もなしで平気で耐えれるデジカメも普通に売っているはずです。

 で、最近の便利の代名詞が「オンライン」。今は「オンライン帰省」も普通にやられるようになりました。こんな水の中だってVR、ヴァーチャルリアリティですね、水族館にすら行かず、居ながらにして気分を楽しめるようになりました。

 でも、そんな世の中だからこそ、あえて、大切な場所であるほど「今」行くべきでしょう、と主張する天邪鬼なブログが当ブログです。理由は3つあります。暑いですから、長文イヤですよね?(笑)できるだけ端的に説明しましょう。

1.一見わずかな差が、人生における実際の意味としては決定的に大きな差になる

 オンライン飲み会もそうですが、近況を語りあい、楽しい時間を過ごすなら「実際に集う」ことなんて必要ありません。行かなくても、集まらなくても、用は足りている……ように見えます。事実足りない用なんて、目先でみればごくわずかです。

 けど、本当に、そうなんでしょうか??私にも、会いたい大切な人が離れた場所に居ます。その人と過ごす時間というのは、私にとって極上の、大切な時間です。その時間を持つうえで、そばにいて、同じ空気を吸うというか、空間を共有するという、そのこと自体が、大きな、いや、決定的な意味を持ってはいないでしょうか?

 ちょっと日常体験を振り返って欲しいのですが、例えば視聴覚情報として、パソコンの画面も、テレビ画面も、用は足ります。もう少し贅沢ならシアターに行けば映像と音に包まれて味わうことが出来たら最高です。

 けれども、人生の中で記憶、印象に残っているものを思い出して欲しいのですが……いかがでしょう??視聴覚の内容も覚えているかもしれませんが、映画館ですら、その時感じた湿度とか、隣にいた誰かとの間の雰囲気とか、あるいはそこで食べたものとか、視聴覚情報そのものよりも、そういうものの方が記憶や印象に残っているのではないでしょうか?

 これは私などに限らず、普通に言われることなのですが、例えば、本を読むことにしても、記憶の引き出しになるのは、その本の質感、重さであったり、厚みであったり、ページをめくる手ごたえであったり……無意識に感じ取っているものが、非常に記憶には重要だったりします。

 私は、こういうことが「人間が五感の生き物である」証左だと思っているのですが、人生における記憶、実感というのは、文字化できる情報としての内容よりも、五感で感じとる部分の方が、圧倒的だろうと思っているのです。文字なら紙質と筆圧、声なら音声としての声色、みたいな調子で。

 本当にわずかな差ですが、それがないと、同じ内容のはずなのに、いかにも無味乾燥とした味気ないものになってしまうのです。人生における意味にすると……どうでしょう、8割、いや、9割は減ってしまうのではないでしょうか。

 ですから、大切な場所があるとするならば、その「わずかの差」の部分は、やはり実際に行ってみないことには、絶対に手に入りません。人が集まっているなら「空気感」、それぞれの息遣いとか、そういうものの総体なのでしょうね、場面場面での色んな空気感、ご存じのはず。

 人なんて、実際に集まってみないと、その集まりの持つ本当の意味なんてわからないと思います。1対1ですら、服装、目線、呼吸、肌の様子、息遣い、臭いや醸し出す雰囲気……記憶に残る大切なポイントが山のようにあるのに、多人数ならなおさらです。

 自然は、まだわかりやすいですよね?今日の私なら、ジリジリした日射、セミの声、森に入ったときの湿気、そして水の中に頭から飛び込んだ時に禿げ頭にダイレクトに感じる水流の圧力と冷たさ(笑)

 だから、別に大切な場所でもなければ、おざなりといったら失礼ですがオンラインで済ませれば良いと思うのですが、大切な場所であるなら、そんな「もったいない」ことで記憶を薄めるようなことをせずに、やはり実際に行くべきだと私は思います。

2.大切な場所は、「今」行ってあげないと、存在を維持できない可能性が高い

 これは……私などが、言うまでもないですけどね……いかがでしょう??いつか、行ってみたいなと思っていたお店が、実際に行ったら閉店してたとか、あらかじめ電話したら電話がつながらないとか……私の経験では飲食店が中心ですが、珍しくもなんともなくなってしまいました。

 Web情報も全く追い付いていない、という感じです。お客さんに実際に足を運んでもらって納得させるだけの価値というのは、ネットショップなんかよりもずっと難しく、費用もかかるものです。高いクォリティーであるほど、実際に来てお金を落としてもらえないと、たちまち立ち行かなくなります。

 コロナ感染防止のため、とは言いますが……実際に現地を訪問しても、コロナは現地に持ち込まないで済ますことなんて、技術的には充分可能なことです。

  • 食べ物を口に入れながら、おしゃべりすることは極力控える。
  • おしゃべりは、食べ終わってから、あるいは食べるのをいったん中断して、マスクをしてから行う

  たったこれだけのことです。もちろん、注意をしなければ難しいですが、マナーなんて、もともと「気を付けなければ守れない」ものです。実際は何より「量」の概念が大事ですので、ちょっとのミスでアウトとかもあり得ません。お店も換気とか一生懸命やってらっしゃるでしょうし……

aiken-makiss.hatenablog.com 感染防止のために具体的にどうすればいいか、技術的なポイントは、かなり高レベルで達成することができると思います。

 一方、今は、心理的要因、社会的原因の方が、はるかに深刻です。都道府県の首長は、本来ならば技術的な問題として対処可能であることを周知徹底すべきところを、むしろ恐怖感を煽るように「不要不急の外出を控えて」と自粛要請ばかりしていますから。

 ニュースで言っていましたが、長良川鵜飼なんて、迎える側で対策を一生懸命やって顧客を呼び込もうとしているのに、このお盆の稼ぎ時に、例年の1割、ひと家族で船が貸し切り状態とか……岐阜県知事の「第2波非常事態」を受けて、キャンセルが相次いだそうです。

 リーダーというのは、民衆が不安で混乱していても、冷静に現状分析して「民衆よりも賢い一手」を打たなければならないはずですが、民衆と一緒になって、ただ「感染者数」(実際には単なる検査陽性者数)だけを根拠に、その意味も見ることなく数字の独り歩きによる不安を増長させてしまいました。

 ちなみに岐阜県内のコロナによる死者数は、5月14日の1名を最後にずっとゼロですが、それを維持する、ただそれだけのために、経済的にどれだけの人が苦境(お金が回らなくなって責任取れずに自殺するまで)に追い込まれるか……そんなことでは、守るべきものも、全く守れないと私は思います。

 「不要不急」とは言いますが、すでに「第一波」で疲弊しきっている「大切な場所」は、経済的に息も絶え絶え、まさに、この本来かき入れ時のはずだったお盆休みである「今」こそ、少しでも実際に行ってお金を落としてあげないことには、もう完全に息の根を絶たれることになると思います。

 実際に聞くのですが、結局は、借り入れたとしても、お金は返さなければなりませんから……売り上げの一部を返済に回せるくらいに、収支が「これから」良くなるって、誰が期待できるでしょうか??もともと収支が良いなんて大企業くらいです。

 事業を続けるために借りれば借りるほど、この先地獄が待っている。そんなことに耐えられる人って、どのくらいいるでしょう??だから、大切な場所を失いたくなければ、まさに「今」、実際に行って、助けなければならないのです。

3.人生は時間もチャンスも限られているので、不要不急なんて本来「ない」

 「今」我慢するだけで、次の機会に……なんて言いますが、そもそも「次の機会」なんて、本当にあるのでしょうか??

  それこそ、いまさら私などが言うまでもありませんが、コロナなんかなくても、人はいつか必ず死にます。「今」会えなくて、「次」会えるなんて、そんな保証なんてどこにもないのです。人は、その事実を忘れがちなだけで。

 繰り返しになりますが、コロナが原因で死ぬという事態は、技術的に注意することで相当避けることができます。でも、人が死ぬということそのものは、基本的に避け難いものです。ましてや天災相次ぐ昨今、いつ死ぬかなんて誰にも分りません。

 だから、実際に会えるうちに、実際に会って、同じ空気を共有しておいた方が絶対にいい。人生後悔しないために。オンラインでは意味が相当薄くなるという理由は、1.としてすでに説明しました。

 もちろん、人に会うのは「相手のあること」です。相手がコロナで不安に思っているなら、これは仕方ありません。それで会えなくなったら、それも運命です。諦めもつくことでしょう。

 ただ残念なのは、そのコロナ不安というのは実は「作られたもの」ということ。人は必ず死ぬ、という大前提に冷静に着目して、コロナを相対化してみることができれば、コロナ「だけ」を、ここまで不安の対象とするのは、いかにもおかしな(バランスの悪い)話だと、すぐにわかるのですが……重ね重ね、都道府県知事のリーダーとしての見識の不足を嘆かずにはいられません。

 あと大切なことは、人生なんて「しょうもない偶然」で出来ているということです。例えば、人生で重要な意味を持っていることでも、私などは、たまたま居合わせただけの友人でもなんてもない人が、気まぐれで(ちょっとお節介的に)口にしてくれたことが、不可欠な教えになっていたりします。

 実際に口にした人は、自分がそんなことを言ったことすら、きっと覚えていないことでしょう。けど、私にしてみれば、それがずっと大切な指針になっていて、それに出会わなければ、どうなっていただろうか?と時々、思ったりします。

 ここで強調したいことは、私の人生にとって非常に大切なことを示してくれた人々も、私自身も、いってみれば「なんとなく」そこに居合わせただけで、不要不急もいいところだったということです。だから、もし「自粛」とかで家にこもっていたりしたら……私は、人生での大切な教えに、決して出会えていなかったでしょう。

 実際に、他の機会では、私はそれらの「教え」をもらえてはいませんし、私もまた、もしかしたら誰かにそういう一期一会の「教え」か何かを与えているかもしれません。そういう意味で、おそらく誰もが「しょうもない偶然」によって、少なからず人生が出来ているのではないかと思います。

 要するに、実際に動かなければ、そして誰かと無駄に思える空間を共有してなければ、いい人生は生まれないのです。そもそも「いつでも会える」のではなく、むしろ実際には「その時にしか会えない」ほうが、人生にとってずっと重要な真実なわけでして……

 ですので、理由は実は「大切な場所」でなくても良いのですが、あなたが、実際に動くことで、あなたなり、あるいは知らない誰かが、人生をより良くできる「教え」を手に入れることがあり得て、逆に言えば実際に動かない限り、なかなか難しいと思います。

 少なくとも、私の人生で大切にしている教えは、本や、ネットでは見たことがありません。見たことあるかもしれませんが、五感で感じる実物ではないので「ひっかからない」、記憶や印象に残らないのだと思います。私の個人的な体験かもしれませんが。

f:id:aiken_makiss:20200814214911j:plain

 そういうわけで、今日は、本当に行ってよかった(結構、重い腰だったのです(笑))!「勝利のトマト」です。途中の「さんまぜ工房」で買いました。

www.pref.gifu.lg.jp ご興味あれば、泳いだ川は、私の御用達(笑)の「弓掛川」という河川ですが、泳いだ場所は秘密です(笑)というか、案内したくても、川岸にアプローチするまでに三点確保必須、一歩間違えれば崖から滑落して死ぬかと思いましたので……

 夏の川なんて、実は何年振り??というくらいに久しぶりでした。地形も、状況もずいぶん、変わるものですね……今、こうしてまた行ける状況になった(顧客の皆さまがついて頂いている)ことに心から感謝しつつ、これからも、行ける限り行き続けたいと思います。

 あなたさまも是非、充実した「実際に行く人生」を。それでは、また。お元気で。