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【2008年11月16日初出の個人記事アーカイブ】名鉄7000系「パノラマカー」47年間愛され続けたモノづくりの真髄

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【ご説明;このブログの書き手(大屋 渡)は、1998年からBEKKOAME//INTERNETにて個人のWebサイトを持ち、その時々に考えたこと等を文章に纏めて公表しておりました。2012年以降更新もない状態でしたが、未だに、たまに記事が読まれるのと「この大屋ってひとは一体何者??」というのを調べようとした場合に、その気になれば人物に関して相当なことがわかるので、当該Webサイトを参照用にそのまま残しておりました。

 しかし、このたびBEKKOAME//INTERNETでの利用プラン廃止を受けて9月末をもって全て閉鎖することとしました。本ブログでも当該Webサイトから少しだけ引用しているのと(今回アーカイブする記事は、この記事↓での引用)……

aiken-makiss.hatenablog.com 今でも少し参考になろうかと思われる内容もあるので、いくつか空行だけ追加してアーカイブとして「そのまま」投稿しなおしておきます。調理に全く関係なくてごめんなさい&今に増して長文ですので余程よろしければお付き合いくださいませm(__)m 元記事リンク↓※スマホには全く対応しておりません】

www.bekkoame.ne.jp

 

 「な、なんだこれは??」…いつもの文書ばかりではなく、あまり上手でもないのに小さくない写真に驚かれた方もいるかもしれない。最初に断っておかなければならないが、私はいわゆる「てっちゃん」ではない。「それならば、↑この写真はなんだ?」とおっしゃる方もいるかもしれない。

 言っておくが、この写真は、名鉄の電車、7000系パノラマカー(正確には7033編成。車両には固有の番号が付けられており、7000系の場合は全ての先頭車両が70○○の番号を持ち、一連の列車を牽引しているので、奇数の先頭車両の車両番号をもって列車の「編成」を表す)の最前席から、対向してくる名鉄7000系パノラマカー(7043編成…かな?)をすれ違いざまに撮影したものである。

 最初から狙って準備をしていない限り、そうそう撮れる写真ではない。たしか、チャレンジ5回目ぐらいの写真である。残念ながら、画質は今ひとつ不鮮明であるが…え?そんなもの明らかに「てっちゃん」じゃないかって?断っておくが、断じて違う。「本職」の「てっちゃん」に失礼である。そう、私にとっては、この名鉄7000系パノラマカーに限っては、心奪われた「特別な」列車なのである。今回は、この電車をめぐる話である。

 今回のこの文書の更新と共にプロフィールも更新して明記してしまったが、私は愛知県犬山市というところに住んでいる。ご存知の方もいらっしゃるだろうが、私はそれまで住んでいた愛知県の東三河地方から、ある意味「やむを得ず」この街に引っ越してきた。今から3年半ほど前のことである。

 「東三河」に対して「尾張西部」と言われるこの地域は、西の木曽川ないし北の県境を越えればすぐに岐阜県であり、同じ愛知県でも「東三河」とはずいぶん「県民性」が異なる。

 全く個人的な感覚だが、豊かな海に恵まれていたからか「暖かく大らか」な「東三河」に比べると、里山の森林資源とため池の水資源を巡って厳しい調整を行ってきたのだろう「尾張西部」は、その空気にどことなく「厳しさ」が漂う。急峻な小山の上に国宝犬山城を据え置く武家の街であったことも関係しているのだろうか。

 ともあれ、バタバタと引っ越して、慣れない名鉄の電車通勤となり、沈みがちであった私にとって、一つの楽しみが、通勤でちょくちょく出会う真っ赤な7000系パノラマカー」であった。

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ホームに入線してくる7003編成;平成20年5月

 私は犬山に来るまでは、この7000系のことを全く知らなかったが、まず、外観に愛嬌があった。ちなみに私も「ガンダム世代」の端くれであるが、モビルスーツのデザインで秀逸なのはMS-06「ザク」の系統だと思う。似ていないだろうか。曲線の雰囲気が…

 おっと話が逸れた。この7000系をきっかけに名鉄の代名詞となった赤色が「シャア専用」を思わせるようで楽しいが、しかし時代的に7000系の方が先なので、それは私の中だけの話だが…おっといけない、4つの前照灯の配置や、運転席からの死角を補うための「フロントカメラ」などが絶妙の愛嬌を醸し出している。

 ちなみに、前に突き出した大きな前照灯は、ライト部がくるっと回ると赤い尾灯になるし、衝突事故時にはオイルダンパーとして乗客を保護するようになっているという優れものである…このように書くと知らない人は「何のこと」と思うかもしれないが、「パノラマカー」を知っている人には自明のこと、7000系の最大の特徴は、乗客が最前席に座って「パノラマ」を楽しむことができることである。

 これに伴い、運転席は客席の上に設けられている。しかも、これが特別料金とか、そういうものを取らないで楽しめるという、とんでもないコンセプトのもとで供用されていたのである。

 私が7000系に乗るようになって、やはり驚いたのが、これが、運がよければ、であるが、乗車券だけで楽しめる贅沢な「パノラマ」の素晴らしさである。7000系が運行され始めた当初は「長蛇の列」だったそうであるが、2008年の春頃までは、不思議なほどに皆さん無頓着であった。もっとも「てっちゃん」同士は常に熾烈に競争するのだが。私も、犬山から名古屋、名古屋から半田など、時々最前席に座ることができた。

 私はいつも電車で座ると寝てしまうのだが、7000系の最前席だけは別であった。もったいないし、電車大好きの子供のために、写真を撮ったりしていたからである。一度、幼稚園に行く前の子供と犬山から名古屋まで最前席に座ったが、きっと忘れてしまっていて、悔しがることだろう。

 本当に「パノラマカー」とはよく言ったもので(名鉄自身が名付けた正式名称ではなく、自然にそう呼ばれたそうである)、いわゆる「てっちゃん」のみならず、わくわくさせる仕掛けだったのである。というか、「パノラマカー」に乗ることで、逆に私は電車が好きになってしまったと言った方が良い。

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7000系で見かけた様々な光景;平成20年春~夏

 ちなみに7000系には、「外観」や「パノラマ」以外にも「楽しい」部分が一杯である。「車掌席」は一般席をちょっと改造したようなもので、客席の一画に仕切りなく設けられていて、必然、車掌は一般的な最後尾の仕切りの向こう側の空間にいるようには、じっとしては居心地が良くないのだろうか、私が見かけた限りではいつも客席を歩きまわり、駅に停まるたびに、ドアの開け閉めは各車両のドアに設けられた操作盤のカバーに鍵を挿してボタンを押すことで操作していた。

 すなわち、発車時には操作盤に2つ並んだボタンうちの1つを押して、自分のいる扉以外の扉を閉める。それからもう一度ホームに出て、ホーム全体を確認してから車内に入り、もう1つのボタンで自分のいる最後のドアを閉め、発車ベルを押す…こういう操作を何度も目にするので、「車掌がホーム全体を確認しているこの瞬間、私がこのボタンを押して車掌を閉め出してしまったら…?」などと思わず「ウズウズ」してしまう。

 屋根裏部屋のような運転席によじ登って潜り込む運転手を見るのも、見慣れない光景で楽しいし、最前部には当時は最新鋭の設備だったろうデジタル速度計がこれ見よがしについていたりする(様々なバージョンがあり、成田山のお守りがついているものもあった)。

 運転手の気分で不定期に鳴らすのだろう、ちょっと濁った音で鳴り響く「…ラーミード#-ラーミード#-ミード#-ミーラー…(濁った低いラー)~※ド#は上の音で※」というメロディーホーンもとても愛嬌がある。

 鉄道ファンに絶大な人気を誇り、ほとんどが廃車となった今も、関連グッズや解体部品などの人気は衰えを知らない。そういう我が家にも、先日(2008年11月)買ってきた2009年版の「7000系カレンダー」が貼ってあったりする。

 そう、このパノラマカーは、つい先日の2008年春まで、かなりの車両が現役運行されていた。しかし、その後現在に至るまでにどんどん廃車解体が進み、2009年度中には全廃されることが決まっている。私にとっては、8月28日夜に犬山駅で見かけた7007編成が最後であった。

 今もまだ一部が走っているそうだが、その「特別さ」はどんどん増していることだろう。したがって、上に挙げたような「ありふれた」写真は、もう撮ることができなくなってしまった。そういう意味では、私にとっては、7000系はすでにお別れが終わってしまった。

 なお、7000系の廃止の理由は、部品が手に入らなくなってきたことと、「燃費」の悪さであるという。名鉄の社内広告によれば、「燃費」は最新型の半分程度とのことで、部品の調達問題もそうであるが、かつて蒸気機関車(SL)が鉄道から消えたように、技術が進歩する時代の必然というか、逆によくここまで運行が続けられたものだと、感心もせざるを得ない。

 最初の7001編成は1961年(昭和36年)に製造され、1974年(昭和49年)まで順次製造されたが、7001編成を含む相当数が今まで現役で使われた。楽器など趣味のものでもない、一方で建築物でもない、消耗しやすい実用輸送機械が、最長では47年というほぼ半世紀の間、人々に愛されて使い続けられてきたのである。

 

 「10年一昔」と言われる昨今、「長期耐久製品」などと言われるモノの寿命もせいぜい10年である。7000系という「モノ」が持ち得た魅力は、果たして何だったであろうか。

 

 このことを考える手段として、例えば7000系にとって代わった最近の車両について考えてみたい。ステンレス製のシャープな外観は機能的であり、乗り心地も別に悪くはない。電光表示はとても充実しているし、社内も明るい。しかし、この車両に「わくわくする」人は「てっちゃん」以外はいないだろう。7000系への愛着が、古く懐かしい時代へのノスタルジーと言えばそれまでかもしれないが、それだけでは済まない問題が含まれているように思われる。

 「通勤列車と比較するな」とおっしゃるなら、もう少し範囲を拡げても、例えば新幹線。外観はもちろん、内装のデザインも、素材の質感も相当工夫が凝らされていることがわかる。しかし、所詮は「快適な移動空間」で、それ以上でもそれ以下でもない。乗り物に乗ること自体の楽しさが「あまり」あるいは「ほとんど」感じられないことに変わりはない。

 「優等生だろうが、つまらない」、年寄りが「最近の若いもの」について愚痴っている内容と同じに思えるが、モノとして7000系の愛嬌がどこから生じたものかを考えたとき、これは、現在の「モノ」とは確かな「差」があると考えざるを得ないのである。

  極論すれば、現在のモノづくりの仕事のベースに「夢」がない…あるいは「人をもっと喜ばせてやろう、楽しませてやろう」という心がない、というべきであろうか。

  代わりにあるとすれば、「こうすれば現代人の価値観に受け入れられるだろう」とか、「売れるであろう」とか、もっとありていに言えば「開発の失敗の責任を取らされることにならないだろう」とか、そういう計算というか、打算である。

 確かに、モノである以上、それで商売をするのであるから、売れなければならないし、売れたがクレームの山でも困る。だがしかし、仕事に対する思い入れや、作品に対する思い入れ…モノづくりの仕事には、このような「心の要素」も当然あるはずと期待される。それらの「心の要素」は、いわば自分が生きていることの意味というか、意地というか、そういうものではないだろうか。

 筋論としては「心の要素」がまずベースとしてあって、「作りたいモノ」があって、それを今回だけといわず将来も実現することが「目的」となる。その目的のために、今回、ある程度は売れなければならないし、売れたがクレームの山でも困る。

 ところが、現在は、仕事の目的そのものが、多くの場面で喪失してしまっており、「空気を読む」という美名のもと、「与えられたスペック」や「今回売るための課題」を、低コスト・低リスクに実現する以外の議論ができなくなってはいないだろうか。仕事は、今度我々が作るモノは、こうあるべきだ…という、「優等生の答案」とはほど遠い「馬鹿げた」議論が。

 よく考えれば、名鉄7000系は、無茶苦茶な列車である。踏切での衝突事故が絶えない状況なのに、乗客が列車の最前部に座っているのである。さらに、それを可能にするために運転席を2階に上げてあるが、その結果さらに手前が見えにくくなるのみならず、様々な標識や信号も全く見え方が違ってくる…もし、衝突事故などが起こって乗客が死んだりしたら、一体どうするのか??等々…現在では、絶対に「あり得ない」コンセプトであろう。乗客が死亡するような可能性が技術的にどれほど低くても、このコンセプトにOKが出るとは思えない。

 しかし、おそらく当時の名鉄の技術者は、あるいは名鉄という会社自体が、未だかつてない、お客さんに楽しんでもらえる列車を、自動車に負けない鉄道の魅力を味わってもらえる列車を作ろうと、その一心で、自らの存在価値をかけて、知恵を絞って開発したのではないかと思われる。

 

 単なる優等生とは程遠い、モノづくりにそのものに懸けた心が、おそらく随所に「愛嬌」として現れ、そして、半世紀も使い続けられる高度な実用性をもたらしたのではないだろうか。

 

 なお、懸念された衝突事故における「安全性」は、実際に踏み切りで砂利を積載したダンプカーを跳ね飛ばし、「ダンプキラー」の異名を持って証明されたそうである。このあたりのエピソードは、「ウィキペディア(Wikipedia)」等にも詳細に記載されているのでぜひご一読されたい。

 

 思うに、愛されるモノ、語り継がれる仕事の本質は、所詮は、それに携わった人の思い入れである。その人が実際にどのような人であったのか、普通は知る由もない。しかし、そのモノや仕事が、その人の生き方を、息遣いを、私たちに伝えてくれるような気がする。

 

 「やっつけ仕事」にがっかりし、長く使うほどに見えてくる「作る側の打算」にシラけることが日常茶飯事になった一方で、「本物」と言えるモノに触れ、また「お気に入り」として愛用したりすることで、私たちは、たぶん、「その人」の「心」を感じている。

 芸術作品にもそういう性質があるのだろうが、人は、その人の仕事を通して、その仕事が「今を生きる人」にとって有用である限り、極めて具体的な「心」としての存在を、半永久的に保ち続けているのではないだろうか。現に、沈みがちの気分を抱えた私は、7000系に乗るたびに、それを作った顔も何も知らない人々の「心」に、励ましてもらっていたのだと言える。

 モノづくりの真髄、もっと言えば仕事の真髄というのは、これで誰かを幸せにしたいというか、正確には、そんな抽象的で高尚な計算というより、とにかく面白いもの、とにかく役に立つものを作ってみたいというか、そういう馬鹿げたこだわりや、切羽詰った思い入れを、できるだけ忠実に具現化してみせることだと思う。

 もちろん、本当に面白いもの、他人の役に立つものを作るためには思い入れだけでなく技術も戦略も必要だし、単に飯を食うためにも売れることだって重要である。しかし、結果として、その「本物」を求め続ける「心」が、モノや仕事を通して、誰かの心に働きかける「具体的存在」として生き続ける。それは、たぶん、自らの人生の終わりにおいて少なからぬ意味を持つだろう。

 今回は、なぜ名鉄7000系が私の心を惹き付けたのか、これを切り口に、あたりまえの内容かもしれないが、改めて考えてみた。私自身は、モノづくりではなくサービス業を生業としているが、仕事を通して生み出せる有形無形のモノはあるし、夫として、父親として、地域の一員としての仕事もある。あいにく大したことは出来そうもないが、ベストを尽くしてみようかと思う。

 今回の文章は、去り行く名鉄7000系に敬意を表して…世の中に、これからも、良い仕事が生まれていきますように…!

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名鉄広見線を走る7007編成;平成20年5月