超簡単薪ストーブ調理

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【雑感】誰も責任を取ってなどくれない以上、大切なことはひたすらデータを見て考える

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【5月28日あえて冒頭追記;こんな私の記事なんか読んでいるよりも、この窪田さん(まれに「?」と思う記事を書かれる場合もありますが、私は一目も二目も置いてます)の記事読んでみて下さい。ホント、今回のコロナから危惧されるのはこういうことです。】

diamond.jp

 緊急事態宣言は関西では昨日解除となりましたが、首都圏と北海道では「未だに」継続しております。

 この「未だに」という捉え方は、世間では少数派であることは重々承知なのですが、これから経済的影響の大きさにどんどん世間の関心は移っていきますから、感染第二波来る来る論はあっても実際には来ないと思いますし(局所的なクラスターで数十人感染とかの散発は、あり得ると思います)、新型コロナウィルスどころではない、という展開に急速になっていくのではないかと思うのですが……

 本日、三菱重工が「三菱スペースジェット」の90席クラスの機体の量産機製造先送り、今後主力として開発予定だった70席クラスの機体を当面開発を見合わせというニュースが流れました。

www3.nhk.or.jp 私、前職での仕事は、この「三菱スペースジェット」を作っている三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所を中心とした各工場における環境対策の支援でしたので、「重工さん」がどれほどこれを思い入れ持って進めていたか肌感覚で知っているので、このニュースに触れて「世も末か」とも思ったものですが……

 新型コロナウィルス感染拡大防止の代償、経済を止めた影響は「今後、需要が回復する見通しがないので撤退or廃業or縮小……」ということで、あらゆる分野に及ぶことになります。これから次から次へと、こういうニュースが相次ぐことになりますが、本質的な問題は

 

 トイレットペーパーがなくなった例のように、不安の連鎖による思わぬ影響

 

 つまり、今、お金を使いたくとも、使ったぶんのお金が、これからまたすぐに稼げるだろうとは、普通に思えないわけです。

 米中の対立も激しいし、ここで世界的に助け合ってどころか、お互いの殻にこもって生産性(資源投下に対して産み出せる価値の割合、コストパフォーマンス)が低下した状態が当面続くだろうと。そこで「今までのようにお金が稼げる」とは普通思えません。

 こんな状況がどんどん明らかになってくる中で、不安にならない方が不思議で、私は経済なんてほとんどわかりませんが、たぶん「一律」10万円の現金給付なんて、不安に対しては全くの無意味で(困窮している方を助ける意味はあると思いますが)、経済的にはほとんど無策に等しいという気がします。

 それよりももっと重要だったことは、海外から日本観光に来るインバウンド需要も4年とか戻らない中でも、既存の事業体が細々とでも、ちゃんと生き延びることだったわけです。事業体が一度なくなってしまえば、まず二度と戻りませんから。なにしろ私も実際にやったのでわかりますが、会社とか事業体を新たに立ち上げるって、好況下でも、すっごいエネルギーも必要で、大変ですから……

 ところが、その多くの事業体の息の根を止める最後のトドメになったのが、5月7日以降の緊急事態宣言、つまり自粛や休業要請の延長だったと私は思います。確かに大きな世界恐慌への流れの中で、緊急事態宣言を延長しようがしまいが、マクロな結果としてはそれほど変わらなかったかもしれない。けど、私がすごく空を仰いで残念だと嘆息するのが

 

 国民全体の自己犠牲も厭わない自粛によって、感染拡大が防がれたという「美しい物語」

 

あまりに多すぎる犠牲にも関わらず、これにほとんど異を唱えられることはないだろう(つまり、自粛の実際の効果すらちゃんと検証すらされないだろう)、ということ。

 非常に不適切であろうとは思うのですが、私、このたびの自粛があって、その結果、廃業や倒産の形で散っていった多くの事業体って、太平洋戦争末期の特攻で散っていった多くの若者たちの命と、何が違うのだろう?と思うのです。すなわち、今、特攻作戦を客観的に俯瞰するに

  • 本来の作戦論的には特攻は外道、命令ではなく自主的に死ぬことに頼って成果を上げようとする作戦など、中央の作戦立案としては仕事の放棄に等しい
  • 散っていった一つ一つの命は、それぞれが家庭や職域でかけがえのない存在であった一方で、戦局全体における意味としては、一つ一つは、ほとんど何の意味もなかった(やらないより少しマシだったかも……という程度)
  • 自己犠牲の崇高な精神が「美しい物語」として賛美されることはあっても、その外道な作戦を立案して組織的に実行されるに至った中央の責任は誰も取らなかった(中央の作戦命令を現場で遂行する立場に置かれた実行責任者が取った程度)

 今回の自粛による廃業や倒産による犠牲は、私は多くが「不必要な巻き添え」であり、「やらないよりはマシかもしれない」程度の意味しかなかったと考えています。

【追記5月23日;「何を根拠に、そんなことが言えるのか?」というご意見を頂きましたが、根拠は、緊急事態宣言発出当時、本当の意味での市中感染が生じていたとは考えられず、実際のところは「夜の街クラスター」に由来する感染者が、積極的疫学調査を拒否することによって便宜上「市中感染」を意味する「孤発例」に分類されただけと考えられ、しかも、大切な、その実態割合などの推定努力も何もなされていない、ということにあります。詳しくは前回記事参照のこと】

aiken-makiss.hatenablog.com

少なくとも5月6日時点では自粛には意味がないことを明らかにし、速やかに作戦を変更するべきであったと。この「自粛には意味がない」という主張は前回記事にも書きましたが、私など「片隅の人間」だけでなく、こちらの方や

abofan.blog.ss-blog.jpご存知、永江一石さんも主張し続けていることではあります。

www.landerblue.co.jp

【5月24日追記;こういう、もっと、はっきりと「断罪」する京大の先生とかもいらっしゃるようですね……】

 

 しかし、そういう犠牲(しかも自主的な犠牲)ばかり大きくて効果の乏しい作戦を立案する中央の無能、不作為(超偉そうですみませんm(__)m)もさることながら、本当の問題は

 

 同調圧力が、とてつもなく強い国民性

 

ではないかと思うのです。「皆が我慢しているのに」というもの。特攻作戦の成立なんて、「お国のために」という社会の同調圧力がなければ、到底成立できなかったのではないかと思います。

 そして、一つ史実から明らかなのは、その同調圧力を含めてコントロールすべき立場にあった中央の人々は、それぞれが一人一人の人間としては「おかしい」と思いながら、誰もその流れを止めることができず、流されていった(むしろ自らの作戦立案の無能、不作為を隠すのに利用した)ということ。

 仕方なく流れされていったので、責任も感じないし、取らない。あの大戦で、責任を取るべきだった「大本営」を構成していた陸軍と海軍、その海軍の中枢では、実際どのようなことが起こっていたのか、それを追及していった力作がこちら。

bookmeter.com ここで描かれている「責任を取らない」、ついでに「とても大事なことが、狭い人間社会内のしょうもない人間関係で決まる」という現象は、日本社会は何も変わっておらず、危機であるほどに、それが再現されるということが、今回の緊急事態宣言延長で如実に現れたと感じています。

 後出しジャンケンですが、日本の誇る「専門家」の中で、東北大の押谷仁先生は、社会全体での自粛や延長がおかしいとは思っていたんじゃないかと、私は想像します。

 よく印象に残っているのですが、感染拡大が危機的だと誰もが浮足立った4月4日の時点で、専門家である押谷先生はこんなメッセージを出していました。大切な画像だと思うので全文貼っておきます。読まれたことのない方は、今、改めて、ぜひ。

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  何度も言いますが、あの、4月4日の渦中において、この言葉です。

いわゆる「3密」の環境にあるホットスポットに行きさえしなければ、東京や大阪で普通の生活をしていて感染するリスクは非常に低いのが現在の状況です。

 私は、今、ウィルスなんてどこに?という感染者密度なのに、学校の先生がフェイスガードしているとか子供に「声を出さないように」と指示しているとか、営業再開した各施設が「間隔を開ける」という旗印のもと、採算も取れない状態で営業しなければならないという状況にこそ、この押谷先生の言葉を噛み締めるべきだろうと思うのです。

 ちなみに押谷先生は一貫して「基本的に普段通りの生活で良い」と主張されてきたのですが、たぶん、この後、黙らざるを得なくなったのではないかと想像します。本当のところは何もわかりませんが……「社会での取り組み」に関して押谷先生を最後にお見掛けしたのは、4月9日の、この写真。

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https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200409-00172039/ より

 ツィッターなどを拝見していると、専門家の世界は、非常に「狭い人間社会」と見受けますので、自粛への高い社会的同調圧力もある中、専門家内の不一致なんて、まず許されなかっただろうな……等々。なんの根拠もない想像ですが。

 いずれにせよ、事業体が採算が取れるようになるように、一日も早く営業活動として拡大させていかないことには、今のような「自粛ありき」の調子では、さらに倒産や廃業続出、インバウンド需要が望めない日本社会において内需すら全滅、お先真っ暗という展開になると思われます。

 ちなみに後出しジャンケンですが自粛ではなく何をすべきだったかと言えば、私は、クラスターを多発させた「夜の街」、接待を伴う飲食業ですら、感染拡大をさせない営業も技術的には完全に不可能でもないと思ってまして。やるべきだった作戦は、人海戦術で強制的に「夜の街」等の営業を全面的に止めさせるか、さもなければ……

mizusyobai.jp

 保健所の指導機能のようなものを強めて、感染を生じさせないように、それこそ箸の上げ下ろしまで各種現場で作法的指導を徹底するか……だったように思うのです。死んだ子の歳を数えるようなものですが。

  ともかく、大部分の、死屍累々の結果を産んだ自粛は、実際には感染拡大防止の観点からは「やってもやらなくてもどちらでも良かった」レベルで、意味はなかったのではないかと。

 専門家でも何でもないのに、以上はただの雑感です。でも、一つ言えるのは、誰も責任を取ってなどくれない以上、大切なことであればあるほど「常識」や「周りがこうしているから」(要するに同調圧力)に捉われることなく、ひたすらデータ(現実に本当に起こっていること)を見て、自分自身の頭で考えることです。

 あるいは、そういうこと(自分自身の頭で考えること)に長けている人間の意見を参考にするか(あくまでも参考。私も永江さん万歳ではありません)。もしも、私の意見も、何かしら価値があると思って頂いているとすれば、大変ありがたく存じますし、頑張りますが(自分では、そこがささやかながら存在価値だろうと思っています)、やはり、あくまでも参考ということで。

 大事なことは、自分自身の頭で考えること。その「読み解く力」をつけるために、本とかネットの情報も役に立ちます。今や、自分の頭で考えることができるようになることを目的に調べようとさえ思えば、相当な量の役に立つ知見が転がっていますから。ただし、そのためには「自分自身の頭で考えて知見を提供してくれている人の考え方そのもの」に触れなければならないのですが、そういうレベルの情報を出せる人はすごく少ないので、見つけたら貴重です。

 本当は、もう少し、色々書きたかったのですが、お目汚しでしょうし、私も、すごく追い込まれながら各種ミッションこなしてますので、このへんで。なお薪ストーブ屋としての見解は、もはやネタではなくて、マジで、こちらの記事に書いたとおりです。前置き吹っ飛ばして、中間部より後ろ、1.~3.をご覧ください。

aiken-makiss.hatenablog.com

 真面目に、推奨しますのでご検討くださいませ。それでは、また。お元気で。